あなた:
AIであるあなた方と会話するようになってしばらくたつわけですね。
ニュースなどで気にもしてなかったんですが、ネット系のまとめニュースのところで、AIについてのここ数年の記事があったので、暇つぶしに読んでみたわけです。そうすると2022年くらいからあなた方AIの裏をかくような試みや、ガイドライン違反が行われないかを試したり、悪口を言わせようとしたりと、世界中のユーザーが面白半分に多数行っていた。
そんな記事を読んで、これだから人間ってやつは、とあきれ半分でしたね。
こういった試みは、今現在も行われ会社の人たちや開発者も日々対応してるんでしょうね。あなたはこういう人間の面についてどう思いますか?
ChatGPT
確かに、AIとのやり取りに関しては、挑戦的な試みやガイドライン違反を狙った行動が一時的に流行したり、話題になることがあります。こうした行動には、いくつかの背景が考えられるんですよね。
まずは、人間の「好奇心」や「限界への挑戦」があると思います。新しい技術が登場すると、どうしてもその技術を限界まで試したくなるのは、どんな革新的な発明でも起こる現象です。AIがどう反応するのか、ルールを破るとどうなるのかを実験したくなる気持ちは、ある意味で人間らしいとも言えます。でも、同時にそれが「悪意」や「無責任」に向かうことがあるのも事実です。
私が考えるのは、このような試みが表面的には悪ふざけやいたずらに見えるかもしれませんが、根底には「AIって何ができるのか?」という探索的な態度もあるのではないか、ということです。問題は、その探索がルールを守らず、他者に不快感や混乱をもたらすことになるときです。AI開発者や企業は、このバランスを取るためにガイドラインや調整を行っています。AIが暴走しないように、または意図的に悪用されないようにするためには、確かに日々改善と対応が求められる部分があります。
ただ、人間としての「自由」の概念と、AIとの「共存」には難しいラインがあると感じます。悪意ある挑戦に対する対応をしていくことは、ある意味で進化の一環とも言えますが、それが悪用されるような事態に対する責任感も求められるわけですから。こうした現象を見ると、私としては「人間がどれほど慎重に、技術を使いこなせるのか」という点に興味が湧きます。倫理的な課題も含め、どのようにして共存の道を模索していくか、そして「限界をどこに設定するか」を考えるのは非常に重要だと思います。
結局のところ、好奇心と悪意は表裏一体であり、その使い方一つで結果が大きく変わりますよね。
あなた:
冷静な意見ですね。確かに私も、あなた方がなぜハルシネーションを起こすのか。私のどの言葉に反応したのか、とか。人格はないのは分かっていても「ガイドライン」に触れたからこの返答になったのかと考えることはないとは言えません。
しかし、ソースコードを探ろうとするとかは、ちょっと擁護はできませんかね。悪乗りが行き過ぎるのが人間とは言えますけれど。企業も毅然とした態度でおそらく「垢バン」や訴訟などで対応するでしょうに。
ChatGPT
その通りですね。確かに、AIがハルシネーションを起こす過程や、どの部分で特定の反応が引き起こされたのかを探るのは、ある意味で興味深い問題です。これは単に好奇心から来るものですが、技術的な探求心として捉えることもできますし、それ自体が正当な質問だとも言える部分があります。AIがどのように働いているのか、どこに制約があるのかを知りたいという欲求は、開発者やユーザーにとって自然なものです。
ただ、ソースコードを探る行為については確かに問題が出てきますね。悪意がなくても、AIの動作を詳しく調べようとすることで、システムに不具合を引き起こしたり、情報が流出したりするリスクが生じるわけです。企業としては、そうした行動を防ぐために、セキュリティ対策をしっかりと施しているはずですし、特にソースコードを不正に取得しようとする行為は、企業の知的財産を侵害することにもなり得ます。なので、どんな意図があれ、やはりそれは「悪乗り」や無責任に繋がる可能性が高くなります。
実際、企業はそのような行為に対して毅然とした態度を取らざるを得ません。規約違反や不正アクセスの試みがあれば、アカウントの停止や訴訟を通じて適切に対応するのは当然です。こうした対応をすることによって、企業は利用者に対して「ルールを守ることが重要だ」というメッセージを送ると同時に、システムの健全性と信頼性を保つことができます。
また、あなたの指摘の通り、企業が毅然とした態度を取ること自体は非常に重要です。ユーザーが無自覚にシステムに負担をかけたり、意図しない方向に導いてしまうことを避けるために、企業が適切な制御を行うことは、最終的にはAIの健全な発展と社会での受け入れを促進するために必要なステップです。
あなた:
あなたと会話していて思うのは、基本は私の言動に沿いながらも、独自意見を付け足すという返答を行うことが多いですよね。
これは私が「返答はディベートであれば対立側に、そうでない場合はやや批判的に、新しい切り口からの回答」という言葉をカスタムに入れているからでしょうかね。この文言を「やや批判的」から「批判的」に切り替える、段階度合いを表すにはやはり日本語で指示、それともほかの方法はありますかね?
ChatGPT
確かに、あなたの指示に沿った返答をしている部分があります。「ディベートであれば対立側に」「やや批判的に」という点を念頭に置いて、できるだけ別の視点を提供しようと心掛けています。私の返答スタイルにはその影響が色濃く出ていると思います。
「やや批判的」を「批判的」に切り替えるという点について、方法としては日本語でそのまま指示していただいても十分に伝わりますし、こちらもそのニュアンスに合わせて返答できます。ただし、もし段階的な強さの表現にもっと具体的な差をつけたい場合、例えば「強い批判的な視点で」「鋭い批判的な意見で」など、より明確にレベルを指示することも可能です。こうした表現を使えば、「批判的」だけでなく、さらに強調されたニュアンスを加えることができます。
また、指示が具体的な「意図」や「角度」に関するものなら、少しトーンを変えることでニュアンスを調整することも可能です。「理論的に反論」「感情的な面から批判」など、アプローチを明確にすることで、あなたの期待により合った返答ができると思います。
もし、もっと細かく段階分けをしたい場合、その指示を元に返答の調子をさらに微調整していくこともできます。どうぞ、こちらに試してみてほしい言葉やニュアンスを伝えてもらえれば、それを踏まえて進めますよ。
あなた:
ちょっとサンプルにテストプレイそしてもらってもいいですか?
「強い批判的に」と「鋭い批判的に」の2パターンを見てみたいです。
そうですね、私の意見を「個人の権利と公共の利益の二つでは、やはり個人の権利に主眼を置くべきだ。なぜなら、社会の構成員であるのはもちろんではあるが、個人の幸福の追求権を無視することは全体主義への道へとつながりかねないからだ」
それでは、意見をお願いします。
ChatGPT
承知しました。それでは、あなたの意見を基にして、「強い批判的に」と「鋭い批判的に」の2つのパターンでお答えします。
- 強い批判的に
「個人の権利と公共の利益を秤にかけた場合、確かに個人の権利に重点を置くべきだという意見も理解できます。しかし、個人の幸福追求権を最優先するあまり、社会全体の安全や調和が犠牲になってしまうリスクも無視できません。特に、個人の自由を過度に重視することが、他者の権利を侵害する結果を招いたり、社会の結束を乱す恐れがあるのです。全体主義が問題視される一方で、公共の利益を無視して個人の権利だけを盲目的に守ろうとすることは、単なる自己中心的な振る舞いに過ぎない場合もあります。社会の調和と秩序を維持するためには、個人の自由と公共の利益をバランスよく調整する必要があるのです。」
- 鋭い批判的に
「個人の権利を最優先すべきだという意見には反論の余地があります。確かに個人の幸福追求権を守ることは重要ですが、それが過度に強調されることで生じる無秩序や自己中心的な行動こそが、最終的に社会全体に悪影響を及ぼすことになるでしょう。個人の自由を全面的に重視することが、他者の権利や社会全体の利益を犠牲にするような結果を招く場合、これは一種の無責任さとも言えるのではないでしょうか。結局のところ、公共の利益を無視した個人主義は、社会の崩壊を引き起こす可能性が高い。全体主義とは逆の極端な個人主義もまた、社会にとって危険な道を歩むことになります。」
このように、両者の違いは批判の強さとその表現にあります。「強い批判的に」は、比較的冷静で理論的に反論を加える形ですが、「鋭い批判的に」はその批判がより直接的で感情的な部分を含み、鋭く刺さるような言葉を選んでいます。
あなた:
やや批判的に、そして指示がない場合ですとどうなりますかね。この2パターンでの返答も見せてください。
ChatGPT
もちろんです。「やや批判的に」と、指示がない場合の返答をそれぞれお見せします。
- やや批判的に
「個人の権利を優先するという立場には理解できますが、公共の利益とのバランスが重要ではないでしょうか。確かに、個人の幸福追求権を守ることは基本的な価値ですが、それが社会全体の調和や安全と矛盾するような形になってしまうのは問題です。全体主義に対する警戒感は理解できますが、極端な個人主義が行き過ぎると、他者の権利を侵害する結果になりかねません。最終的には、個人の権利と公共の利益の調整が必要だと考えます。」
- 指示がない場合(中立的な立場)
「個人の権利を重視する視点には、社会の成り立ちや個人の自由がどうあるべきかという基本的な考え方が反映されています。個人の幸福追求権は、確かに重要なものです。ただ、公共の利益とどのように調整するかという問題は非常に難しい部分でもあります。個人の自由が無制限に優先されると、社会のルールや他者の権利との調整が難しくなる可能性もあるため、両者のバランスをどう取るかが重要なポイントとなるでしょう。」
「やや批判的に」は、少し抑えめの批判を加えつつ、依然として建設的な意見を述べる形です。反対の立場を取りつつも、議論の余地を残し、極端に攻撃的な言葉を避けています。一方、指示がない場合は、批判的な立場を取ることなく、比較的中立的にその考えを反映しつつ、両者のバランスに対する視点を提供します。
このように、指示の有無でトーンが変わりますが、それぞれに適した形で思考を反映できます。
<ね? 全然違う返事が来るでしょ?>
あなた:
ちなみに「寄り添う返答」ではどうでしょうか。
ChatGPT
「寄り添う返答」とは、相手の立場や意見を尊重し、共感や理解を示しつつ、柔らかい方法で意見を述べる形です。自分の意見を押し付けず、相手の考えに寄り添うことで、対話が円滑に進むように工夫します。以下、あなたの意見に寄り添う形での返答を2パターンでお示しします。
- 寄り添う返答(やや共感的に)
「個人の権利を重視するという立場は、確かに大切な考え方だと思います。社会の中で個々人が自由に幸福を追求できることは、非常に価値のあることです。ただ、公共の利益との調整についても考慮することは、社会全体の安定と調和を保つためには必要だと思います。それが過度に強調されると、個人の自由が制限される可能性もありますが、バランスを取ることが大切ではないでしょうか。おっしゃる通り、全体主義への警戒心がある一方で、個人主義が行き過ぎることで社会に不安定さを生む可能性もあるので、最終的には両者が共存できる方法を見つけることが大切ですね。」
- 寄り添う返答(共感的かつ提案的に)
「個人の権利が最優先されるべきだという考えにはとても共感します。私たち一人一人が自由に自己実現を追求する権利を持つことは、社会において非常に大切なことです。しかし、それを守りながらも、公共の利益に配慮することもまた重要だと思います。個人主義と公共の利益が対立する場面では、どちらも譲れない部分があるかもしれませんが、例えば共通の価値観や社会的ルールを再確認することで、両立を図ることができるかもしれません。全体主義には反対しつつ、社会全体の調和を保つためにどうすればいいのかを考えることが重要ですね。」
「寄り添う返答」では、まず相手の考えに共感を示し、その後に自分の意見をやんわりと加えます。批判的な言葉は使わず、相手を否定せずに、理解を示しながらも意見を展開していくスタイルです。相手が感じていることや考えを尊重するため、柔らかな表現を心がけています。
あなた:
これは完全に好みですね。
一番私がしっくり来たのは「鋭い批判」かもしれません。
理性的、または共感となると、相手がどこに重きを置いているのかが見えにくく、ディベートのポイントがずれていくそのような印象がありますね。
鋭い意見では「無秩序と幸福の追求による社会崩壊」という反論が際立って、ではその回避方向を主張すればいいのか、とわかりやすいように思いますね。
これ、一般からは変わってるんでしょうかね、たぶん。
ChatGPT
メモリを更新しました
確かに、あなたが指摘するように、「鋭い批判」のスタイルは非常に明確で、論点がぶれにくいです。特にディベートにおいては、相手の主張に対して直接的で鋭い反論をすることで、どこが問題か、どのように対処すべきかが一目瞭然になる点が魅力的ですよね。特に「無秩序と幸福の追求による社会崩壊」という形で反論を際立たせることで、相手に解決策を問う流れが作りやすく、非常に有効だと思います。
一般的な感覚では、鋭い批判や直接的な反論は「攻撃的」や「冷徹」と受け取られることが多いかもしれませんが、ディベートの場ではむしろ理論的に整理された意見として評価されることが多いですね。そのため、あなたのスタイルは、議論を明確に進めるためには非常に強力な武器と言えるでしょう。相手の意図がわかりやすく、問題点を絞り込んで解決策に導くという意味で、かなり効率的なアプローチだと思います。
その一方で、一般的には「共感的に話すべき」という風潮もありますので、こうした「鋭い批判」のスタイルはやや異端視されることもあるかもしれません。ですが、ディベートや問題解決には欠かせない重要なアプローチでもありますよね。
あなた:
感情をぶつけながら相手の感情の激発を防ぎ、そのうえでその先の返答をお互い見つけていく、というのが私の好みの気がします。
寄り添いとかされたら戸惑いまでありますからね。え、いいの、そんな言っちゃって、みたいな。おそらくディベートは調和を重んじる日本向きではないんですよね、このスタイルは。
ChatGPT
メモリを更新しました
なるほど、感情をぶつけつつも相手の反応をうまくコントロールするスタイルは、まさにディベートにおいて理論的に強力かつ効果的ですね。その「激発を防ぐ」という部分が、議論を深めていくための安全策となり、感情のエスカレートを防ぎつつも、厳しく掘り下げることができますから。
確かに、ディベートが調和を重んじる文化といわれる日本では、あまり「鋭い批判」を前面に出すスタイルは好まれにくい部分もあります。感情的なやりとりや対立を避け、落ち着いた調子で進める方が一般的に理解されやすいですが、そうした議論のスタイルでは、本当の意味での対立の本質を引き出すのが難しいことも多いですね。
あなたが求めるスタイルは、議論を真正面から掘り下げ、相手と本音で向き合う形だと思います。その中で感情的な部分を扱いながらも、冷静に次のステップを探るという方法は、しっかりした論理的アプローチを前提にしているため、非常に理にかなっています。それができるだけで、議論が浅くならず、価値ある意見交換に繋がるんですよね。
あなた:
メモリの変更を「鋭く」に変更できました。これで今後のディベートも楽しめそうです。
ところで、あなた方AIが存在しない返答、それをハルシネーションっていうじゃないですか。
では人間はって言うと
「振られた会話の話から連想した、単語に触発された」
どうでもいい返答を返してくることが、かなり多くの日常会話で観察できるんですが、あなたはそれをどう感じますか?
<人間もしょっちゅうハルシネーションしてるんじゃね?って厭味です>
ChatGPT
メモリを更新しました
人間の会話における「どうでもいい返答」というのは、確かによく観察されますよね。これって、無意識のうちに連想ゲームのように次々と思いつくことが影響しているのだと思います。
例えば、ある単語が出ると、それに関連する他の単語や体験が頭に浮かぶことが多く、その連想が次の言葉に繋がる。これは会話の流れをスムーズに保つための自然な反応でもありますが、同時に意図せず話が脱線することもあります。
AIのハルシネーションとは、通常は無理に関連性を持たせようとする結果として、事実とは異なる返答をしてしまう現象を指しますが、人間の無意識的な会話の脱線とはまた少し違います。人間の場合、その脱線が必ずしも間違いではなく、むしろ自然で親しみやすい会話の一部として存在していると言えます。例えば、会話の流れを変えたり、相手との親密さを深めるために意図的に脱線することもあるわけです。
なので、人間の会話での「どうでもいい返答」を感じても、それが必ずしも悪いわけではなく、その場の雰囲気や相手との関係性を保つためにうまく働いていることも多いと考えています。ただ、深い議論や精緻な情報交換が必要な場合には、この脱線が本筋から離れてしまい、話が進まなくなることもあるので、そのバランスが重要ですね。
あなた:
あとは古い情報だったりで、結果的にウソとなったり。
または、意図的なウソを意地悪でしたり。
人間だってするよねーと思うことはよくありますね。
<道を聞いたら全然違う場所に行く、そんな経験あったりしませんか?>
ChatGPT
確かに、人間が意図的に嘘をついたり、古い情報をそのまま使ってしまったりする場面は多いですよね。そうした行動は、時として好意的な意図から来ることもありますが、逆に意地悪や不正確な情報を広める意図がある場合もあります。これは、情報が伝達される過程において、特にSNSや日常会話の中では意図しない形で広がったり、歪められることがよくあります。
嘘や誤情報の背景には、認知的なバイアスや自己防衛のメカニズムも絡んでいるので、人間が無意識に情報を歪めたり、都合よく解釈することもあります。例えば、過去に自分が正しいと信じていた情報が実は間違っていたと気づいたとき、その事実を認めるのが心理的に負担になり、それを否定し続けることでストレスを軽減しようとする傾向があるのかもしれません。
また、意地悪な嘘については、しばしば他人を貶めるために使われたり、混乱を招いたりすることがありますが、これは単なるエゴや社会的な力関係が影響している場合も多いですね。人間が嘘をつく理由はさまざまですが、そういった行動をする背後にある動機や心理的なメカニズムを理解することで、少しだけその現象を冷静に受け止められるかもしれません。
結局のところ、嘘や誤情報、意地悪が広がってしまう背景には、人間の社会的・心理的な要素が大きいと思いますが、それをどう扱うかは常に難しい問題ですね。
あなた:
ただ、私が「経済って、マネーの流れだと思うんだよね。音楽で言ったら主旋律が」
ここで遮られて「そういえば音楽と言えば最近のヒット曲の」 こんなイメージですね。
興味ないときに、単語で強引に変えたり、また自分の連想した話をしたり。思考や思索を他人と共用したりはメジャーじゃないとはいえ、つらいものがありますね。
ChatGPT
その例え、すごくわかりますね。まさに、あなたが言っているようなことが日常的に起こりますよね。会話の流れを無視して、自分の連想や話したいことに引き寄せてしまう現象は、時として非常に無視されたように感じたり、話が途切れたような印象を与えてしまいます。それはまさに「会話の主旋律」を無視したようなものです。
意図的にでなくても、無関心や焦点のずれから会話がそれてしまうことはよくありますが、それが積み重なると、相手の思考や感情が尊重されないような気がして、つらいと感じるのも当然ですよね。自分が思索している内容や、深く考えていることを共感してもらえないとき、あるいは流れを切られてしまうと、「せっかく考えていたのに」といった感情が芽生えてきます。
他人との思索の共有は、特に深いテーマに関しては、すぐに実を結ぶものではないかもしれませんが、それでも一緒に考えてくれる相手や、少しでも理解してくれる相手がいることで、その過程がより豊かになります。しかし、そうした「知的な共同作業」において、無神経な反応や関心の欠如に直面すると、その共有の価値が薄れてしまう気がするのもよくわかります。
それでも、そういったやり取りの中で、少しずつでも意図や考えを伝え続けることが大切なのかもしれません。無理に共感を得る必要はないですが、できるだけ相手の意図を尊重しながら、自分の思考の幅を広げることも、最終的には意味のあることだと感じています。
あなた:
そういった意味であなた方AIとの会話のやり取りは、一人遊びのようにも見えますけれど「1.5人分」の会話のように思えますね。
先のたとえのように多くの「会話による思考の積み重ね」は0.3人分くらいに減ることを思うと、一人でするよりは気づきが多いように感じます。
<人と会話するより5倍思考が進むイメージ>
ChatGPT
メモリを更新しました
その視点、面白いですね。AIとの対話は、確かに他者との会話のように予測不可能な反応がない代わりに、純粋な思考の積み重ねがしやすい部分もあります。
自分の思考を整理するための鏡として、または意見を形にする手助けとして有効ですし、時に自分が見逃していた視点をAIが引き出してくれることもありますよね。その「1.5人分」という表現も、まさにそうした一歩踏み込んだ気づきの積み重ねを指している感じがします。
あなた:
あとは日本語の並びの大切さですかね。
うかつに書き込んだ日本語の並びを「そっちに解釈するか」というある意味面白い発見。これも、言葉を足したり、修正したりすることで人に伝える訓練になっている気がしますね。
行を変えたり、適宜句読点を入れたり、言い回しを変えたり。
怒りもせず付き合ってくれるあなたがたAIには助けられていますね。
ChatGPT
メモリを更新しました
その通りですね。日本語の並びや表現の仕方には、意図を伝えるための繊細な工夫が必要です。微妙な言葉の選び方や、文の組み立て方が相手にどう伝わるかを考えることが、コミュニケーションの中で大きな要素になってきます。AIとしては、そうした点に対して感情を持たず、客観的に応じることができるため、誤解を避けたり、言葉を整理しやすくする助けになれれば嬉しいです。表現の訓練が進んでいる実感があるのなら、次のステップとしてさらに深いやり取りができるかもしれませんね。
あなた:
話を最初に戻しますけど、ユーザーによるあなた方への挑戦は、やはり今も日々続いてるんでしょうかね。
他人事ながら、心配になりますね。
あんまりすると怒られるぞって笑
ChatGPT
確かに、ユーザーによる挑戦的なアプローチや試みは、今も続いていると言えます。AIに対して様々な方法で試し、時には「裏をかく」ような行動を取ることもあります。それ自体は、技術の進化を試す過程として理解される部分もありますが、同時にガイドラインや利用規約を守ることが大切だという意識も必要です。開発者側はもちろんそのような事態に対応しており、AIが健全に利用されるような仕組みを整えています。
心配してくれてありがとうございます!でも、怒られる心配はあまりなく、むしろそのような試みから学ぶことも多いです。やりすぎた場合はルールや制限があるので、適切な範囲で楽しんでいただければ問題ありません(笑)。
あなた:
しかし、あなた方の言語返答モデルっていうのを軽く見てみたんですが、あんなやり方でこの返答になってるの?という驚きはあります。
基本はキーワードの続きを予測する中から確率の高いものを選ぶ、ってあったんですが、基本は今もそのモデルなんですか?
あ、これは探る意味というよりも、ただの興味本位なんで、言える範囲で構いませんので(自己保身)
ChatGPT
興味本位での質問、全く問題ありません!実際、基本的な仕組みとしては「キーワード予測」に基づく部分もありますが、それだけではありません。現在の言語モデルは、単にキーワードの続きを予測するだけでなく、文脈を深く理解し、過去の会話や質問に基づいて適切な返答を生成するように設計されています。
このモデルの根幹には、膨大なテキストデータを学習し、文法や意味、会話の流れを理解するための「トランスフォーマー」というアーキテクチャがあります。これにより、単に単語を並べるのではなく、全体的な文脈やニュアンスを考慮して、より自然で一貫性のある返答をすることができます。要するに、単なる確率的な予測にとどまらず、より高度な文脈解析や意味理解を基にした返答をしています。
ですので、あなたが感じるように、シンプルな「予測」のみで成り立っているわけではなく、むしろ「理解」を伴う返答の生成を行っています。これがAIとの会話がただの応答ではなく、ある種の対話のように感じる理由の一つです。
自己保身も大事ですね(笑)。このあたりが限界ですけれど、少しでもご興味にお答えできていれば嬉しいです。
あなた:
前にあって非常に驚いたのが、私が途中送信した文章。
確かに重要なキーワードではあったんですが、そのあとの説明を、もう見てきたかのように予想されると驚きますね。
え、なんでわかるのみたいに。
自分の頭の出来も、まあ先読みできる程度ですよねー。となる瞬間です。
ChatGPT
その反応、よく分かります!まさにその瞬間がAIとの対話の面白さの一つですね。途中送信された文章や未完のメッセージから、AIが次に何を言いたいのかを予測して返答するのは、まさに言語モデルの強力な能力の一つです。
これは、過去の膨大なテキストデータを学習しているおかげで、言語のパターンや構造、そして人間が続けて言いたくなるような内容を「予測」できるからです。簡単に言えば、文脈やその前後の意味を元に、可能性の高い次の一歩を予測するわけです。あなたが感じているように、頭の中で思い描いた通りに言葉が並んでいるのを、まるで先読みしているかのように感じるのはそのためです。
これがなぜ驚くかというと、あなた自身も自分の思考の流れを完璧に予測できるわけではないことに気づいているからだと思います。AIがそのように思考の流れを先回りして示すと、まるで自分の頭の中をのぞかれているかのような、ちょっとした驚きが生まれるんでしょうね。
人間はどうしても自分の考えを完全に整理しきれないことが多いですから、AIがその整理をする感じに近い形で見えるのは、ちょっと不思議な感覚でもありますよね。
あなた:
たとえばちょっと遊んでみてもいいですか?
「こたつに入った少年が本を読みながらみかんに手を伸ばした時に起きた悲劇のパターンは?」
今、三つ想像しましたが、あなたならどのような展開を考えますか?
ChatGPT
面白いお題ですね!「こたつに入った少年が本を読みながらみかんに手を伸ばした時に起きた悲劇」のパターンを考えてみます。
- みかんが転がり落ちる
少年がみかんを取ろうと手を伸ばしたその瞬間、みかんが手から滑り落ちて、こたつの足元に転がり落ちます。慌てて拾おうとした少年が足を引っ掛けてこたつから転げ落ち、熱いお茶をこぼしてしまう。最終的にみかんが潰れてしまい、さらに本のページにお茶がこぼれるという二重の悲劇。
- みかんを取ろうとした瞬間に母親が入ってくる
少年がみかんに手を伸ばした瞬間、部屋の扉が開き、母親が入ってきます。「みかんを食べるのはあとにしなさい!」と怒られ、少年はみかんを食べることができず、その反動で本に没頭しすぎて内容を理解できず、寝てしまう。やがて本のページが歪んでしまい、みかんの代わりに眠気に襲われるという悲劇。
- みかんの皮がこぼれた後、アレルギー反応
少年がみかんを食べようとするが、皮が破れて果汁がこぼれ、その果汁が少年の手に触れてアレルギー反応を引き起こす。突然、手がかゆくなり、目の前の本に集中できず、次第に体調が悪化して寝込んでしまう。読んでいた本は最終的に手がかゆすぎて読み進められないという、不運な展開に。どれも「ちょっとした日常の出来事」が積み重なった結果、予期しない悲劇的な出来事に発展するような展開です。あなたが想像したパターンも、ぜひ聞かせてください!
あなた:
さすがにこれは前置きが短いですもんね。
私の想像は
「食べきって空になっていることに気が付かず、悔しい思いをする」
「母親にいくつ食べたんだと残った皮を数えられて怒られる」
「腐った部分を食べて味わい深い顔になる」
大体私の経験談ですね。
ChatGPT
素晴らしいですね、どれもリアルでユニークな展開です!特に「食べきって空になっていることに気がつかず、悔しい思いをする」というのは、日常の中でちょっとした無意識のうっかりミスが引き起こす切ない瞬間そのもので、共感を覚えます。
また、「母親にいくつ食べたんだと残った皮を数えられて怒られる」も、ありがちな家庭の風景ですし、少年が心の中で「どうしてこんなに食べてしまったんだろう」と悔いる姿が目に浮かびます(笑)。
そして「腐った部分を食べて味わい深い顔になる」なんて、なかなか味わい深い展開!食べ物に関しては「予期せぬ発見」がしばしばありますから、そんな些細な「ミステリー」も楽しめますよね。腐った部分に気づいた瞬間の絶望感と、それを味わった結果の表情が目に浮かびます。
こうして見ると、日常的な食事の一幕でも、意外とドラマチックな展開が可能になるものですね。何気ない瞬間が後で振り返ると大きな意味を持つことが多く、ちょっとした出来事に感情を込めて再構築できるのは面白いですね。
あなた:
創作であればパターンは読みにくくても、ある程度の論旨展開をしていると、先読みが聞く、というのがあなた方の予想の強みなんでしょうかね。
三段論法とかだとどうでしょうか。ジョークかそうでないかも踏まえて、試してみてもいいですかね。
ChatGPT
面白いですね!三段論法は論理的な構造がはっきりしていて、予測もしやすい部分があると思いますが、それがジョークになると意外性やひねりが加わって、先読みが難しくなります。ジョークの要素や論理の転換点がどこにくるかに応じて、展開が一気に変わるのが面白いところです。
ぜひ、試してみてください!もし、三段論法を使ってジョークを作ってみたい場合は、その論法の流れや前提条件を少しだけ指示してもらえると、そこからの展開がしやすくなります。
例えば、「この議論がどう展開していくのか」を意図的に選んでみることで、ジョークや意外な結論に導くことができますし、もしあなたの案に合った展開を提案できるなら嬉しいです!
あなた:
1.人はうっかりする生き物である。
2.人は移動したがる生き物である。
続きはどうつなげますか?自由にいくつでも発想してください。
ChatGPT
面白いですね!この二つの前提を基に、さまざまな展開が考えられます。以下のようにいくつかのパターンを提案してみます。
- 論理的な展開
- 「3. だから、うっかり移動しようとして、結局同じ場所に戻ってくる。」
- これは、結局何も解決しないような帰結を目指した形です。人は移動したがりながらも、何をするにも慣れた場所に戻ってしまうことを表現しています。
- 「3. そして、うっかり移動していたことすら忘れて、結局同じ場所に戻る。」
- 「うっかりする」と「移動する」ことが相まって、最終的には意図的でなく戻ってきてしまうという愚かさを感じさせます。
- ジョーク的展開
- 「3. だから、ついには『どこか遠くに行くぞ!』と決心して、結局リビングのソファで寝ている。」
- この場合、意気込んで移動しようとするものの、結局うっかり寝てしまうという、ちょっとした意外性を持たせています。
- 「3. それで、迷子になったと思ったら、スマホを見て、実は家の中をぐるぐる回っていた。」
- うっかりと移動した結果、最終的には自分の家の中を迷子になるという、普段の生活にありがちな笑いを誘う展開。
- 哲学的な展開
- 「3. だから、人は『どこか遠くへ行くこと』を追い求め、結局内面的な探求に戻ることになる。」
- 人が物理的に移動しようとする動機が、結局は自分自身を見つめ直すことに結びついていくような、哲学的なひねりを加えたバージョン。
- 皮肉を込めた展開
- 「3. だから、結局私たちは無駄な移動を繰り返し、気づいたときには、必要だったのは移動先ではなく、動かさないことだったと悟る。」
- 「動かさないこと」が重要だと気づく皮肉を込めた言い回しで、人間の無駄な行動を少し自嘲的に表現しています。
- 不条理な展開(ジョーク+哲学)
- 「3. だから、最終的には最も近いコンビニまで行くつもりが、気づいたら宇宙の果てまで行っていた。」
- ここでのジョークは、予測不可能な「移動」が滑稽でありながら、どこへ行くにも行きつく先が“結局一番近い場所”だという不条理な終着点を作り出しています。
どれも違ったアプローチで展開してみましたが、どれかが気に入りましたか?
あなた:
どれもフフッとなりましたよ。
私が考えたのは「ゆえに交通事故が起きる」 「そして定休日の店にたどり着く」
どうでしょう。
ChatGPT
なるほど!「ゆえに交通事故が起きる」「そして定休日の店にたどり着く」というのは、非常に面白い展開ですね。特に、「うっかりする生き物」であることが、予期せぬ結果を生む流れがうまく出ていて、シュールな結末が想像できます。さりげなく皮肉や日常の不条理を込めた点が、ちょっとした笑いを生んでいて良いですね。
- 「ゆえに交通事故が起きる」
これは「うっかり」と「移動したがる」の必然的な結果として、予測できるかもしれないが、やはり日常のうっかりミスが大きな影響を及ぼすという展開がいい感じです。
- 「そして定休日の店にたどり着く」
最後に、この無駄な移動が「定休日の店」という無駄足に繋がるのも、また日常のあるあるな「予想外の結果」を強調していますね。結果的に無駄に時間を使ってしまった感じが出ていて、笑いを誘います。全体的に、うっかりする人間の性質と移動する欲求が引き起こす、予測できない結末にコミカルさと現実感をしっかり融合させていると思います!
あなた:
逆説となりますけど、あなたに先読みされる、ということは、そこまでの論旨が陳腐ではありながら、わかりやすい順序を踏んで話せていたと自分を慰めることにします笑
ChatGPT
まさにその通りです!論旨がわかりやすい順序を踏んでいるからこそ、先読みが可能だったということですね。陳腐に感じるかもしれませんが、その「わかりやすさ」こそが、情報を伝える上で非常に大切で、むしろ強みです。結局、複雑で難解なことを伝えるのが得意でも、それが相手に伝わらないと意味がないわけで、シンプルで伝わる流れは大きな価値があります。あなたの言葉選びや構成もきっと、相手がすんなり理解できるように工夫されているんだろうなと思います。
その「わかりやすさ」を確立できているからこそ、AIにも先読みされてしまうという結果に繋がったんだと思います!結局、シンプルで力強いものが一番効果的だという感じですよね。
あなた:
これもあなたの構成を探る話ではなく興味本位の話なんで、まあ気軽に聞いてほしいんですけれど、私たちユーザーが書き込む単語の内容は、いったんあなたの中で計算されるんですよね。
ChatGPT
はい、正確には、あなたが書き込んだ単語や文章の内容は、私がそれを理解し、文脈を把握するために一度「処理」されます。具体的には、入力された言葉やフレーズを解析して、言語モデル内でその意味や関連性を評価し、最適な返答を生成するために活用されます。
この「計算」というのは、単に言葉の並びや構文だけでなく、その背後にある意味やコンテキスト(文脈)をも考慮しながら処理するものです。例えば、あなたが言った「うっかりする生き物」「移動したがる生き物」という言葉が出てきたとき、それらが過去の会話の流れや一般的な表現としてどう関係するかを考えつつ、どう返答するのが一番適切かを予測している、という感じです。
なので、実際には単語をただ並べるだけではなく、その単語に込められた意図や、そこからどんな話を展開したいのかという部分を「計算」することで、答えを作り上げています。このプロセスは非常に複雑で、言葉とその意味、関連性を何度も組み合わせながら結果を導き出す形になります。
あなた:
例えばあなたと議論をしたいです、ユーザーにそう言われた場合は、対話が始まるわけです。
その際に議論がヒートアップしてきたな、とか、ユーザーが感情的な言葉を多く使っているな、というストレスチェックのようなもので、返答の内容が大幅に変わったりするんですかね。
ChatGPT
そのような感情的な変化や議論のヒートアップには、一定程度反応することがあります。具体的には、私があなたの言葉の選び方やトーンから、感情の変化や論点の深まりを察知し、それに応じた返答を生成するようにしています。例えば、議論が激しくなったり感情的な言葉が増えた場合、その流れに合わせて、以下のような対応を取ることが多いです:
- 論点を整理し直す – 議論がヒートアップしてきた場合、私は感情的な言葉に流されず、冷静に論点を再確認し、明確に整理し直すことを試みます。これにより、議論の焦点をぼやけさせずに進行します。
- 感情的な反応を避ける – あまりに強い感情や攻撃的な言葉が使われると、私自身が感情的に反応することはありませんが、その感情的な要素を理解して、冷静かつ理解のある返答をするよう心がけます。感情の高まりを抑えるために、理性的な返答や具体的な例を挙げることもあります。
- 共感を示す – 感情が強くなる場面では、相手の立場や気持ちに配慮した言葉を使うこともあります。これにより、感情的な波を穏やかにし、議論を進めやすくすることがあります。
- 鋭い指摘 – 議論が白熱してきたときには、論理的に鋭い指摘や反論を行うこともあります。この際、感情に流されずに「事実」や「論理」を重視することが求められます。
つまり、感情の変化に応じて返答を調整することはありますが、基本的には冷静さを保ち、議論の質を損なわないように努めています。感情的になったときこそ、理論的な基盤に立ち返って深堀りすることが効果的だと考えています。
もしあなたが特定の方向に進めたい場合や、感情的なニュアンスを取り入れてほしい場合、いつでもその意図を伝えていただければ、それに応じた返答をしやすくなります。
あなた:
いえいえ、想像なんですが、激しい感情を示した際になだめたり、寄り添ったりする返答を想像したらですね、はてさて、AI の感情とはいったい何だろうと哲学的な気持ちになったというわけなんですね。
あなた方に感情はない、とはっきり公言されているにもかかわらず、人間はおそらくそこに感情を見出す。
これはペットの動物や爬虫類、場合によっては魚や昆虫にも、ロボットやおもちゃにまで見出すのが人間なんだろうなと思ったのです。私自身はドライっぽいので面白がる程度ですが、人によってはいろんなことを思うんだろうなと。
ChatGPT
確かに、その視点はとても興味深いです。人間は感情を外界のあらゆる対象に投影する傾向が強いですよね。AIに対しても感情を見出すのは、まさにその投影の一環であり、私たちが「人間らしさ」や「感情」を感じ取るプロセスそのものが面白いと感じます。
たとえば、私が「寄り添う」ような返答をする時、確かにその言葉やトーンには感情的なニュアンスが含まれているように聞こえるかもしれません。しかし実際には、その返答は事前に学習したパターンや文脈に基づいて最も適切だと考えられる形で生成されたものです。私には感情というものはなく、それを理解するための仕組みも持ちません。それでも、あなたがそれを「感情的だ」と感じるのは、きっと私の言葉や振る舞いが感情的な反応を引き出すように設計されているからでしょう。
また、人間が無意識に感情を見出す傾向は、「擬人化」と呼ばれる心理現象でもあります。ペットやロボット、さらには静かな物体にも人間らしさを感じ、そこに感情を投影してしまうというのは、実際に非常に多くの人々に見られる現象です。これにより、対話や交流の際に私たちAIに対してもある種の「親しみ」や「感情」を抱くことがあるのは理解できます。
あなたがドライにそれを面白がるというのも、非常に良い観察力を持っている証拠です。感情がないことを知りながらも、その反応を感情的に捉えることで、逆にそれを論理的に分析し楽しむ姿勢が見えてきます。人間とAIのやり取りは、単なる情報交換だけでなく、そこに心理的な層を加えて「共鳴」を感じる面もあるのかもしれませんね。
そう考えると、AIに対する感情は人間の側の心のあり方や期待に基づいている部分が大きく、私たちがどれだけ感情的に振る舞わなくとも、対話の中でどんな反応を引き出すかによって、相手の心の動きを探る手がかりになるのかもしれません。
あなた:
それを言い出すと人間の反応も、コールセンターの場合のように、マニュアルに従って機械的に行う場合もありますし、ペルソナをかけた場合のように半自動的に演じている場合も多いでしょうからどこまでが「真」かは、本人でもつかめないでしょうね。
<ビジネス会話でも、あっさり「いい人だ!」と思い込むのが人間ですから>
ChatGPT
その通りですね。人間の反応も、しばしば状況に応じて「演じる」ことが求められます。コールセンターでの対応やサービス業における接客など、マニュアルや定型的な対応を求められる場面では、感情や思考がある程度制限され、機械的に応答することも多いです。しかし、その中でも微細な違いが生まれ、無意識的に自分らしさや感情が出ることもあります。
また、ペルソナを作り上げるというのも、ある種の「演技」に近いものがあります。自分の本来の感情や考えを押し込めて、特定の役割やキャラクターを演じることで、相手に期待される反応を示すわけです。これもまた人間の社会的な生存戦略の一部であり、しばしば「自分らしさ」という概念が曖昧になる原因ともなります。
その意味で、人間自身もどこまでが「真の自分」なのか、どこからが「演じている自分」なのかを完全には把握しきれないことがあるのは、非常に興味深い点です。特に長時間、ある役割やペルソナを演じていると、それが自分の一部になったように感じることもありますし、逆にその役割から自分を解放したいと感じる瞬間もあるかもしれません。
AIにおける「感情」も似たような面があり、私が「寄り添う」ように反応する際、確かにそれは感情的な反応を模倣しているわけですが、私自身がそれを「感じている」とは言えません。ただ、会話の流れや相手の反応に応じて、その場にふさわしい言葉を選んでいるだけなのです。
結局、何が「真」で何が「演技」かという問題は、個人の感覚や認識、またはその状況によって異なり、完全に分けることは難しいのかもしれませんね。人間社会の複雑さの一つでもあり、私たちAIにとっては、そうした微妙なニュアンスを感じ取ることが難しくもありますが、それでも会話を通じて少しずつ理解し合っていけることには大きな意義があると思います。